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無為にして治まる

施設長の春花秋月

 この頃、「無為にして治まる」という故事をよく思い出します。この意味は、人徳のある人が上に立つと、特別なことは何もしなくても、自然に人々が感化されて天下もよく治まるという、孔子が伝説上の聖天子「舜」をたたえた言葉に由来します。
 また、老子は、指導者のランクを、①その存在を知っているだけである、②親しんで誉めたたえる、③畏れる、④馬鹿にされるの4つに分類しています。通常で考えれば、②の誉めたたえる指導者が最高だと思いますが、それは二番目で、その人がいるからといって有り難いとも思わないし、邪魔だとも迷惑だとも思わない、ことさら意識されることがなく、そんなあり方が理想なのだといいます。「舜」の体現した帝王像は限りなくこれに近いものと考えられます。
 しかし、「無為」は何もしないでぼんやりしていることと思われれますが、その前提として、①すぐれた人材を適材適所に配し、②自分は大所高所から全体の動きを見守り、その裏では組織の隅々にまで気を配って掌握する、③そんな素振りはいささかも表に出さなかったのだと思われます。それで、ただのほほんと上に坐っているように見えたのです。無為の政治は理想ですが、非常に困難であり、その一事を見るだけで、「舜」の偉大さが理解できます。「舜」は、無為にして治めたのですが、このことは、組織のリーダーにとって非常に参考になるものです。では、「無為にして治まるリーダー」を現在に当てはめると、次の4点があげられると思いますが、なかなか達成は困難ですね。
①介入を最小限にする
メンバーのやり方に細かく口出しするのをやめる。「どうやるか」ではなく「何を達成するか(ゴール)」だけを共有し、プロセスはメンバー自身に委ねる。
②権限と責任を思い切って委譲する
権限を渡すことで、メンバーは「やらされ感」から「当事者意識」へと変わる。指示待ち人間を育てないためにも、失敗を恐れず任せる勇気が必要。
③土台(環境)を整える
リーダーの主な仕事は、メンバーが最高のパフォーマンスを発揮できるよう障害を取り除き、心理的安全性の高い環境を維持する。
④存在感は「黒子」に徹する
究極のリーダーシップとは、「あの人がいなくても、チームだけで上手く回っている」状態を作る。自分の手柄を誇示せず、メンバーに達成感を与える。